信濃川と中之口川によって運び込まれた土砂でつくられた越後平野のほば中央に位置し、この地域は新津丘陵、弥彦、角田山塊、海岸側の砂丘に三方を囲まれた低地が、度重なる信濃川の氾濫によって埋め立てられできた沖積平野です。乾田化する前は蒲原の名が示すようにアシで覆われた潟や沼が点在する湿地でした。耕地整理が進み人工的に乾田化されてしまった現在の地形からはこうした特徴的な地形を想像することはできませんが、明治時代の地形図からはまだ当時のようすを知ることができます。平野は河川の洪水の繰り返しによって埋め立てられて作られてきました。大雨が降ると河川の水量は急激に増え、上流の川岸を侵食して、大量の土砂を含んだ泥水となって流れ下り、平野で狭い川からあふれ出して洪水となります。狭い川から広い平野に溢れ出た水は、急激に流速が小さくなるために、砂や泥を運搬する力を失い、その場に土砂を堆積させてしまいます。水が引いてしまった後に残されたこれらの微高地が自然堤防です。自然堤防や砂の堆積などが背後にある低地や河川の堆積作用があまりおよばない低湿地が後背湿地で、中央に潟や沼がありました。耕地整理と乾田化のために、平野の自然の姿はほとんど見られなくなりましたが古い地図からは耕地整理前の潟や沼、そのまわりの湿地の様子を読み取ることができます。こうした低湿地は自然に埋め立てられたり、人工的に干拓されたりした後も、標高ゼロメートル地帯として湿地帯のなごりを残したり、アシの群生地として小規模になごりをとどめているところもあります。